2018年11月11日

「天地人ー韓国岳登山記」

  秋真っ只中の10月末、楊先生とエリコ先生のご引率で、ケンタンのみなさんと登山に行きました。市内の街路樹がまだ青々しているところから出発し、走り続けて1時間あまり、道路両側の木々の葉がほとんど赤や黄色になりました。あー、もう海抜1200メートルぐらいのところに登ってきたんだ!と気づきました。その時の私は、「一枚の紅葉だけでも青空の下では十分きれいだ」程度のことしか思っていなかったので、それより何十倍も美しい韓国岳の景色が私たちを待っているとは想像すらしませんでした。
    10月末,正值鹿儿岛的秋天。上周,我们和杨老师、eriko老师、还有县短的大伙儿们一起去登了山。市内的行道树仍然保持着绿色,但当路边几乎全变成红、黄色的树木时,我便意识到:啊−−我们已经到达了1200米左右的地方!当时我只觉得,“仅仅是一株红叶映衬在蓝天下就已足够美丽了”。却还无法想象,原来韩国岳中还有着比这更美丽几十倍的景色。
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  今回、大浪池登山口から出発して、池の東側に沿って山頂をめざし、下り道は、池の西側に沿って下りました。それで池を一周した形であらゆる角度から池を眺め、池を囲う山々の景色を眺められました。
    这一次,我们选了一条新的路上山。从大浪池登山口出发,沿池的东侧登上山顶,接着沿池的西侧下山。因此,我们得以站在各种高度眺望大浪池、还有环绕池水的群山,全方位地欣赏它们。 
 
  山のふもとにいるときは、雲が厚かったです。湖面はまるで広い鏡のようで静かでした。しかし、山の中腹にきたとき、お日様の光がさんさんと水面に注ぎ、池の半分がライトアップされたように輝いていました。
    在山脚下时,天空还布满阴云,水面仿佛一面宽阔的镜子似的,极其平静。但当到达山腰后,灿烂的阳光便照耀着水面,照亮了一半池子,波光粼粼。
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  池を囲んでいる森は、虹色と言っても過言ではないくらい極彩色でした。間に白いススキがところどころ姿を現しています。池はまるで青い宝石のペンダントのように、ネックレスのようなカラーフルな木々に囲われ、その美しさを包み隠さず繰り広げて私たちを見惚れさせています。
    山林环绕着池水,林子的颜色如同彩虹般缤纷,还有白色的芒草点缀其中。池子就像项链的一颗浅蓝色吊坠,被彩色的细带环绕着,毫无隐藏地展现出它的美丽,真叫人着迷。
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  山にしても、池にしても、自然を見渡す時、思わずこう自分に問いかけてみたくなります。「普段私たちが悩んでいることはそんなに悩むに値することでしょうか?」「いいえ、必ずしも解決できないようなことではないし、またそれは今最も重要なことでもないかもしれません。」と答えが自然に出てきました。
    无论看山,还是看池水,当远眺着自然的造物时,不由得自问:“日常生活中我所烦恼的事,真的那么值得烦恼吗?”“不是的,解决它未必像想象中困难,而且这也不是眼前唯一重要的事。”这样的答案也自然的浮现出来。
 
 
  段差の高い石段に差し掛かったとき、前にいた日本人の女子学生が私に手を差し伸べ、そして私も後ろの日本人の仲間に手を差しだしました。その光景は思いがけずカメラに収められました。後で見たとき、何かすごく心を打たれました。国や文化、ことばが違っていても私たちはこんなに仲良くなれるのだと。きっと優しさや思いやりといった感情は、人間に共通したものであるからでしょう。今回の経験で築いたこの国境を超え、ことばを超える友情をこれからもずっと守っていきたいと思いました。
    这时我们走到了一个很高的台阶前面,我踩着树根爬上去,前面的日本女孩子伸手拉了我一把,我又转身伸手去拉我身后的日本男孩子。这一幕恰好被另一位伙伴拍了下来。现在回顾起来,突然觉得很感动。国籍不同母语也不同的人们为什么能关系这么好的呢~~大概是因为我们都一样是人,都拥有共同的人性,也有着全人类共通的情感吧。这份跨越国界和语言的友谊是我想永远守护的东西。
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  登山道は、頂上に近づけば近づくほど険しくなっていきます。岩がごろごろしていて滑りやすくなっています。両手を使い四つん這いに近い姿勢で登らなければならない場所が増え、ほとんど崖みたいなところを歩いたとき、思わず「怖っ」と叫んでしまいました。後ろにいる学生は「僕が後ろにいるから大丈夫よ」と言ってくれました。怖さが半減まではいかなかったですが、なんだか優しい言葉をかけられたら少し落ちつくことができました。疲れていて怖いと思っている時に、落ち着いて仲間を励ましたりできる人ってなかなかいないですよね! 
    我们就这样一起向上爬,路越接近山顶越险峻。因为接近山顶处的碎石太松动,我就真的手脚并用地“爬”山了~~身体两侧除了碎石就是近似悬崖的陡坡,恐惧都无法抑制了,居然时不时地念叨两句“好可怕”……走在我后面的日本男孩子说:“我在你身后呐”,大概是叫我不要怕吧。虽然安慰并不怎么能缓解山崖陡峭带来的恐惧,但是听到这种温柔的话真的很舒服。在大家都又累又怕的时候不但能保持自己的理智,还能安慰别人的人也是很难得了。
 
  山頂に近づくと、視野がどんどん広がり。階段のあるところもあれば、ごろごろの岩場も多いです。豊かな地形を思う存分体験したと感じました。「なぜ階段を山頂までつくらないんですか?」と先生に質問しました。「日本人は自然をそのままの姿に残して、それを楽しむのが好きなのだと思います。他人の作った道ではなく、自分で道を探す。そこに、本当の楽しさがあるのでしょうね。」と楊先生が答えてくれました。
    越接近山顶,视线便越开阔。台阶时不时出现,除此之外便是布满石头的山坡。我觉得自己着实体验了一把这丰富的地形。我问:“为什么不把路修到山顶呢?”杨老师告诉我:“日本的人们喜欢体验自然原始的样子。而且,不是由别人规划好道路,而由自己探索。这才真正有趣。”
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  途中でつらくなって何回も諦めようと思いましたが、一息を入れてチョコレートを分け合ったりしたらまた気合を入れて山頂をめざす、と何回か繰り返しているうちに、とうとう山頂にたどり着くことができました。山頂で霧島の山々を見渡すと、自分は天地で一番高い場所に立っているように感じ、大浪池も、周りの火山口さえも、低く見えてしまいました。なんて気持ちの良い景色でしょう!その気持ち良さは杜甫の詩の力を借りて伝えてみたいと思います。「会ず当に絶頂を凌ぎ、一覧して衆山を小とすべし(泰山(中国の名山)の山頂に立てば他の山はすべて小さく見える)。」韓国岳は霧島の泰山だと思います!秋の山道には、寂しいイメージがありますが、仲間たちと一緒に歩いていると、全然寂しくなかったです。このままずっと一緒に歩き続けたい気持ちにさせられました。
    的确,途中不知道多少次想要放弃了,但在稍作休息、大伙儿互相分享了巧克力后,又重新抖擞精神,向着山顶爬去。如此这般重复无数次后,我们终于到达了山顶。从山顶处眺望远方时,不禁觉得自己正站在天地间的最高处,不论是大浪池、还是附近的火山口,都显得低而遥远了。看着这番景色,便不由得心情舒畅!可以用中国诗人杜甫的诗来表达这种心情:“会当凌绝顶,一览众山小。”韩国岳可以称得上是雾岛市的泰山了!深秋的山路总是以寂寞的印象示人。但我因为是跟良师益友们一起走这山路,就完全不觉得寂寞了,甚至还想一直和大家一起走下去。
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posted by TEAM IT at 10:37| Comment(0) | 日記
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