2013年07月24日

天文館夜話

鹿児島に来たばかりの頃、どのような街なのか知るために、時間があればいつもぶらぶらしていました。一台の自転車と一枚の地図があれば、一人で一日中楽しめました。もちろん、迷子にならないことが前提ですが。
自転車に乗っていると、いくつかのバス停を通り過ぎますが、その際にバス停に書かれている「天文館」という文字が目に入ります。たぶん、「館」という漢字に対する先入観のためだと思いますが、「天文館」は「博物館」あるいは「美術館」と言った、イメージでしたが、有名な繁華街の名前だとは知らなかった。
天文館は昼の顔と夜の顔を持っています。昼の顔、それはにぎやかです。夜の顔、それはあでやかです。


记得初来鹿儿岛那会儿,为了摸清楚这个城市,喜欢随处闲逛。一人、一车、一张地图,便可享受一整日的时光。当然前提是那日没有不幸地迷路。
骑车途中,常常与公交车站台“擦肩而过”,“天文馆”三个字也总是在不经意间映入眼帘。大概是由于对“馆”这一文字先入为主的观念,总以为“天文馆”是个“博物馆”或者“美术馆”,殊不知,它是一条有名的商业街。
天文馆的白昼与K夜是两种不同的风格。白日里的它,尽显繁华。夜晚的它却又着另一番风味−−妩媚。

記得初來鹿兒島那會兒,爲了摸清楚這個城市,喜歡隨處閑逛。壹人、壹車、壹張地圖,便可享受壹整日的時光。當然前提是那日沒有不幸地迷路。
騎車途中,常常與公交車站台“擦肩而過”,“天文館”三個字也總是在不經意間映入眼簾。大概是由于對“館”這壹文字先入爲主的觀念,總以爲“天文館”是個“博物館”或者“美術館”,殊不知,它是壹條有名的商業街。
天文館的白晝與K夜是兩種不同的風格。白日裏的它,盡顯繁華。夜晚的它卻又著另一番風味−−妩媚。


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夜の帳(とばり)が降りたあとの天文館は、ネオンがきらめきます。こうした様子を中国語では「風情万種の美人」と表現します。夜の天文館を歩いていると、この「風情万種の美人」が昼のスーツを替えて、髪を下ろして、ハイヒールを履いて、歩いている様子がイメージできます。
「はるかに遠い街灯が明るくなり、数え切れないスターのように閃いている。空にスターが現れ、数え切れない街灯みたいにつけられている」(郭沫若「天上の街」)。このきれいな街にはたくさんの宝物があるにちがいありません。もし、そうではなければ、なぜ人々はわれさきにここに来て、天文館のきらめく華やかな雰囲気に酔いしれますか。


夜幕降临下的天文馆,霓虹闪烁,就像个风情万种的俏佳人,换下白夜里的装束,放下头发,脚蹬高跟,行走在迷人的夜晚。
“远远的街灯明了,好像闪着无数的明星。天上的明星现了,好像点着无数的街灯。”(郭沫若《天上的街市》)。这条美丽的街市一定陈列着许多珍奇。否则,人们怎么争相来此,心甘情愿沉醉在它的繁华与喧嚣中。

夜幕降臨下的天文館,霓虹閃爍,就像個風情萬種的俏佳人,換下白夜裏的裝束,放下頭發,腳蹬高跟,行走在迷人的夜晚。。
“遠遠的街燈明了,好像閃著無數的明星。天上的明星現了,好像點著無數的街燈。”(郭沫若《天上的街市》)。這條美麗的街市壹定陳列著許多珍奇。否則,人們怎麽爭相來此,心甘情願沈醉在它的繁華與喧囂中。


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沸き返っている人ごみ
私はこの道を二回歩きました。私がお願いしたので、友達もつきあってくれました。
至る所、賑やかでした。驚いたのは、店の入り口で客引きをしているのが男性のほうが多いことです。これはちょっと不思議でした−−どうして女性を採用しませんか?私の感じでは、女性の美しい姿に柔らかな声の方が、お客さんを呼び込みやすいと思いました。


人潮涌动
在我的强烈要求下,友人陪着我走了两回这条路,处处彰显着人世繁华。除此以外,我还惊奇地发现,店门口迎客的男性居多。这就有些不解了−−为何不用女性呢?在我的认知里,也许女性的娇美的姿态,轻柔的嗓音更能吸引行走的顾客。

人潮湧動
在我的強烈要求下,友人陪著我走了兩回這條路,處處彰顯著人世繁華。除此以外,我還驚奇地發現,店門口迎客的男性居多。這就有些不解了−−爲何不用女性呢?在我的認知裏,也許女性的嬌美的姿態,輕柔的嗓音更能吸引行走的顧客。


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ちらっと見ると、少し違和感を感じます;改めて見ると、なんだかどこか変です;じっくり見ると、急に分かるようになります――原因は店の入り口に置かれた花輪です。中国では、開店開業の祝いなら、パチパチと爆竹を鳴らして、灯篭を掲げて、花篭が二列並んでいるに違いません。写真に載せたような花輪は葬式しかに登場しません。これは中日両国は冠婚葬祭の違いでしょうか。

扫一眼这家店,会不会有几分诧异;再一看,总觉得哪儿怪怪的;细细观察后,顿时了然−−原因在于摆在店门口的花篮。印象中,在中国,若是新店开张,必定热热闹闹地放起鞭炮,挂起灯笼,花篮站两排。而这样的花圈只会出现在葬礼上。这大概就是中日两国在红白喜事上的不同吧。

掃壹眼這家店,會不會有幾分詫異;再壹看,總覺得哪兒怪怪的;細細觀察後,頓時了然−−原因在于擺在店門口的花籃。印象中,在中國,若是新店開張,必定熱熱鬧鬧地放起鞭炮,挂起燈籠,花籃站兩排。而這樣的花圈只會出現在葬禮上。這大概就是中日兩國在紅白喜事上的不同吧。


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これは鹿児島の銀座通りです。高級歓楽街の東京の銀座とは違って、鹿児島の銀座通りは親切で自由な気がします。居酒屋で、そのような姿を見かけることができます。一杯の焼酎と何皿かのおつまみがあれば、人々は存分にお酒を飲んだり、語りあったりしています。興味が尽きないようなら、別の居酒屋へはしごして語り続けます。

这是在鹿儿岛的银座街头。只是或许不同于东京的奢侈,鹿儿岛的银座街头,多了几分亲切和随意。居酒屋内,这样的身影处处可见,一壶烧酒,几碟小菜,人们便开始畅饮畅谈了;若是意犹未尽,那么再换一家店,继续刚才的话题。

這是在鹿兒島的銀座街頭。只是或許不同于東京的奢侈,鹿兒島的銀座街頭,多了幾分親切和隨意。居酒屋內,這樣的身影處處可見,壹壺燒酒,幾碟小菜,人們便開始暢飲暢談了;若是意猶未盡,那麽再換壹家店,繼續剛才的話題。


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食いしん坊の私はどこに行ってもおいしいお店を見逃すわけにはいきませんので、今回は中国で食べたことのないお好み焼きを食べに行きました。水に溶いた小麦粉を生地として、野菜、肉、魚などの食材を鉄板の上で焼き上げて、ソース・マヨネーズ・青のり等の調味料をつけて食べます。
食べてみたら日本語のほっぺたが落ちるという表現がぴったりのおいしさでした。私たちの食べっぷりを見て笑わないでくださいね。ここは「満月」っていう飲食店です。こじんまりとしたお店で、サービスも最高でした。みなさんも天文館に行く機会があったら、是非食べに行ってみてくださいね。


身为吃货到哪儿都不能亏待自己的肚子。所以,我和友人决定去尝尝在中国不曾吃过的什锦摊饼。在加了水的面粉里加上蔬菜、肉、鱼等食材,放在铁板上烧烤,撒上调味汁、蛋黄酱、海苔等调味料就可以吃了。
看着吃得连眉毛都酥的我们,是否让你忍俊不禁呢?这是一家叫“满月”的小店,小巧精致的装饰和细致周到的服务,还有那美味的煎饼让我们觉得不虚此行。

身爲吃貨到哪兒都不能虧待自己的肚子。所以,我和友人決定去嘗嘗在中國不曾吃過的什錦攤餅。在加了水的面粉裏加上蔬菜、肉、魚等食材,放在鐵板上燒烤,撒上調味汁、蛋黃醬、海苔等調味料就可以吃了。
看著吃得連眉毛都酥的我們,是否讓你忍俊不禁呢?這是一家叫“滿月”的小店,小巧精致的裝飾和細致周到的服務,還有那美味的煎餅讓我們覺得不虛此行。


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満員の電車
そろそろ帰りましょう。帰路の市電には飲み会の帰りかと思われる乗客でいっぱいでした。でもきっとこの不夜城の天文館のどこかで、酔いつぶれてそのまま一夜を過ごす人もいるのではないかと思いました。

座无虚席的电车
是时候该回去了。半醉半醒的人儿挤满了电车,ー着回家;不过,大概也有沉醉不知归路的客人,寄居在这座不夜城的某处吧。

座無虛席的電車
是時候該回去了。半醉半醒的人兒擠滿了電車,趕著回家;不過,大概也有沈醉不知歸路的客人,寄居在這座不夜城的某處吧。



「飲み屋で多くの人と出会って、人間は、喜んだり悲しんだり、浮かれたり落ち込んだり、時に卑しくなったり真面目になったり、しょせん誰も同じだと痛感しました。本音に触れなければ、分からないことでした。」と能勢兼三は「天文館夜話」にこう書きました。
昼の世界ではあまり聞かれない本音があふれているからこそ、夜の天文館はとくに魅力的だと思います。鹿児島での思い出には、やはり夜の天文館は欠かせません。


能势兼三在《天文馆夜话》中这样写到:酒馆里相逢的人们,对于悲喜浮沉,偶尔的卑鄙浅薄或者严肃认真这些人世间的纷扰,总能找到某个感同身受的人。若不触及真心,是无从得知的。
我想,正因为白日里听不到的真心话深入夜晚的天文馆,它才格外迷人。对于鹿儿岛的回忆,还是不能舍弃夜晚的天文馆这一话的。

能勢兼三在《天文館夜話》中這樣寫到:酒館裏相逢的人們,對于悲喜浮沈,偶爾的卑鄙淺薄或者嚴肅認真這些人世間的紛擾,總能找到某個感同身受的人。若不觸及真心,是無從得知的。
我想,正因爲白日裏聽不到的真心話深入夜晚的天文館,它才格外迷人。對于鹿兒島的回憶,還是不能舍棄夜晚的天文館這壹話的。



图文/傾夕
posted by TEAM IT at 17:41| Comment(1) | 日記
この記事へのコメント
天文館、懐かしかったです。また天文館に行きたいです。
Posted by 木槿 at 2013年07月26日 09:18
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